脳内日記

あることないことなんでも書きます。

ギャップ

暇。暇である。私はどこか旅行へ行くといったアウトドアな趣味がなく、がしかしインドアな趣味もこれといっているわけではないので、暇を持て余していた。

 

しかし、本来大学三年の夏休みといえば周りはインターンに行き、合同説明会に行き、合間に恋人と旅行してなど忙しいものである。

 

それに反した毎日に対して母親は小言をいうことが多くなってきた。インターンは、あんたインターンは行かないのかいと。

 

インターンの意味知ってて言ってる?ねえ。インターン言いたいだけの意識高い大学二年生みたいになってるよ、52歳のおばさんからおばあさんへの過渡期であるそこのあなた。

 

困った、どうしたものかと思い、しかし家に留まっていては小言を言われるのは分かりきっていたので、最近は別に切りたくもない髪を切りに美容院に行き、別に着たくもない服を探しに洋服屋に行き、別に変える必要のないメガネのフレームを変えに眼鏡屋に行ったりなどして凌いだ。

 

しかし元々物欲がない私は早々に行くところがなくなり、最近は苦肉の策で近場のドトールで時間を潰すことが多くなった。

 

二階から駅を見渡すとまばらに人がいる。その人の流れをただぼんやりと見る。

 

すると1人の女がいそいそと自転車を漕いでいる様子に目が止まった。

 

なぜ目が止まったのか。

自分でも分からないままぼんやりと見る。

 

女は白い、襟と袖がふわふわした、半袖の、名称が分からないがとにかく女が着ていそうなものを着て、下はミニスカートにハイヒールであった。およそ自転車を漕ぐにそぐわない格好で、しかし懸命に、ガニ股になりつつ懸命にこいでいた。

一応言っておくが別に見えそうで気になっていたわけではない。断じてない。絶対領域のそのさきはパンドラの箱である。その箱を開けられるのは私ではない。私のカギでは開かない。もしかしたら既に開封済み、、、やめておこう。

 

自転車は大きめなママチャリであり、それもお洒落な格好にそぐわないものであった。

 

自転車を置いたあと、女は風で最早たてがみとなった前髪を下ろして整え、颯爽と駅に消えていった。

 

その様子を見た私は思った。

「これがギャップ萌えか」と。

 

以下はおそらく事実と相違ない私の妄想である。

おそらく女には男がいる。あるいは男に準ずる気になる男がいる。そしてこの時女はこの男と待ち合わせをしていたのであろう、女の前髪を整えている時の表情から一目瞭然だ。付き合うかどうかの瀬戸際、あるいは付き合って初めてのデートで気合をいれていたこの女、朝から化粧やら洋服のコーディネートやらで大忙しだ。勝負服は襟がフリルになっている白い女がさらに白く見せるために着そうな服。下は黒のミニスカートにハイヒールで一般的な大学生の男が好きそうな恰好である。この女が好いている男はマッシュヘアーに指が第一関節までしか入らないような底が浅い鞄を首から前に下げ、路上で大したストレスもないくせにたばこを吸いながら「落ち着くわあ」とほざく様な男である。ついでに言うとこの男の音楽の趣味はking gnuである。一曲しか知らずに彼らの特徴を流暢に語り、唯一知っている曲名を「白目」だと思っているような奴である。

私はこの女が不憫でならない。おそらくこの女はking gnuなどは趣味ではない。キンプリや嵐が好きなのだ。しかし男の「アイドルとかの顔で売ってるような曲は本物のアーティストじゃねえ」とかいう人の気持ちを考えない暴論により気持ちを胸に留めなくてはならなくなっている。その上女はママチャリに乗っていることを隠している。男の前では女はおしゃれであり、決して普段はママチャリにガニ股で乗るような人間であることを晒したりはしないはずなのだ。

 

女のギャップは尊いものだ。ふだんから男の前ではかわいらしく、乙女な姿を見せたい。しかし、大学生たるもの全てをおしゃれにすることはかなわなかったのだろう。自転車はママチャリしかない。小学生のときに乗っていた赤い自転車はちいさすぎて乗れない。親から譲り受けたこのママチャリ。乗る恰好として優れているのはおそらくジーパンにサンバイザーである。しかし男にそんな姿を見せるわけにはいかない。女は世間の評価と男の評価を天秤にかけたはずである。世間の無数の目にパンチらを晒す恥辱と男に好かれたいという気持ち。それを測った結果があのがに股走法である。この女の決断、これこそがギャップ萌えではないか。その他大勢を切り捨てて一人の男を取る覚悟。これがギャップ萌えの本質である。

 

それが分かった私は、感嘆した。それと同時に、やはりこの女が不憫でならなかった。男はおそらく気付かないからだ。女がどれほどの思いでその場に来ているかを。そして何も考えず「遅刻じゃん。遅えよ。」とたばこ臭い口で放つのだ。

 

恋は盲目というが、これほど他人の恋に刮目している人間はいないであろう。

女よ、そのうち察する。その男に未来が無いことを。そしてまた同時に気付くだろう。

お前のすべてを見抜き、受け入れんとするドトール二階のニートに。

焦らず、たゆ・・・

季節は夏。私は絶賛夏休み中である。だれも絶賛などしていないし、当の私も絶賛などしてはいないが。

夏休みと言えば、受験の鬼門である。「夏休みを制するものは受験を制す」という言葉があるように、受験生にとってこの夏休みは今後を左右する大きな山場である。

ちなみにだが、今までとは口調が変わっている。なんとなくだ。なんとなく変えてみたのだ。

私にも遥か昔受験生だった記憶がある。

夏休みを制するものは受験を制す、ということはつまり「夏休みを制せないものは受験を制せない」ということではないか。私は夏休みを恐れ、震えていた。そんな時頼りになったのは、親が買ってきた湯島天神の鉛筆に刻まれたこの言葉である。

「焦らず、たゆまず、怠らず」

たゆまず、がなんなのか、は分からなかったがこの言葉は大いに私を励ました。この言葉を思い出すと狭まっていた視界が拓け、思考が明瞭になった。

「夏休みを制するものは受験を制す」たとえこれが真であっても、逆に「夏休みを制せないものは受験を制せない」が真であるとは限らないじゃないか。

数学受験だった私は日常に必要条件と十分条件を取り入れることで自分の短絡的な思考に矛盾があることを発見した。

こうして焦ることをやめた私は怠ることなく勉強し、たゆまずの意味を知ることなく勉強した。夏が終わる頃には鉛筆が削れに削れ、格言が「焦らず、たゆ」程になっていた。

たゆ・・・なんだったか、意味を知らない私は言葉を忘れた。まあ焦った、が、どうせ意味を知らないのだからと思い出すのをやめた。

この頃受験にことわざ、漢字などの文字が入ったシャツや鉛筆は使用出来ないらしいと聞いた。

普通に焦った。えぇ、こいつと今までやってきたのに、なんなのぉてな具合である。

売れない芸人がやっと仕事取り始めてきた頃に初代のマネージャーが変わってしまうようなものだ。えぇ、こいつと今までやってきたのに、なんなのぉてな具合である。

昨日までカレーはご飯と決まっていたのに、今日からナンに変わってしまうようなものだ。えぇ、ご飯で今までやってきたのに、ナンなのぉてな具合である。違うか。   

ぼっちが修学旅行でグループを作れと言われるようなものだ。えぇ、俺今までぼっちなのに、班なのぉてな具合である。具合が悪い。

受験は落ちた。

理由は分かっている。わたしは焦らず勉強はしたが、急がなかったからだ。焦ると、急ぐはどうやら違う。

急がば回れ」という言葉があるが、私は急がず回っていた。ただの遠回りである。学校の後輩と始めて恋仲になって、家まで5分で着いちゃうから遠回りしちゃおう、をしていただけだ。

何かを達成するためには、急がなければならない。しかし焦ってはいけない。着実に走りながら、力を入れる場所を見極めなければならない。決して歩いていいと言っているわけではないのだ。

努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功したものは皆すべからく努力しておる。

その努力の最大火力、それを使う場が受験生にとって夏休みであったのだ。

 努力を怠らず、決して気をゆるめず、しかし焦らず力を出すところを見極めよ。おそらくそういったことをあの鉛筆には書いてあったのだ。


焦らず、たゆ


焦らず、たゆ・・・


たゆ、なんだったか。


ナンか、ナンだな。


今日はカレーにナンだ。



都会に染まったお肌

 先日皮膚科に行ってきたんだけど、いつもの行きつけとは違うところに行ってきて。なんでかって言うと、まあ、そこの皮膚科はあんまり評判が良くなくて。基本的に人の話を聞かないんだよね、先生が。

 

 私は幼い頃からアトピー性皮膚炎でね。いたるところが痒くて、赤くなっていて、その炎症を抑えるために皮膚科で薬をもらうんだけども、全然人の話聞かないから。毎回同じ薬で、毎回同じ量で。

 

 すっごい少ない量なんだよね。塗り薬なんだけど気合入れて塗れば三日で塗り終わるくらいの量しかくれなくて。三日に一度皮膚科行かなきゃなんないっていう、自分磨きより多いじゃない。波多野結衣より、園田みおんより、先生見る頻度が高いっていう。

 

 まあそんな調子だから、いつ行っても空いてまして。近くに新しい皮膚科が出来たらもう常に閑古鳥鳴いてて。なんなら閑古鳥すら居ないくらいに空いてて。そこの皮膚科は常連しかいないみたいな。みんな顔見知りで、どっかのしがないスナックみたいな感じなんだよねりお年寄りの方しかいなくて、診察している時もみんな声が大きいのかうっすら聞こえてきたりするのよ。

 

患者「いやねぇ、首がちょっと痛くてねぇ」

 

先生「あ、あ、そうですねじゃあこの薬で」

 

患者「いや、これねぇ、ちゃんとつけてるんだけど、なかなかねぇ。効かなくてね」

 

先生「あ、あとは腰ですかね、じゃこの薬で」

 

患者「あら、そうなのよ。先生、最近なんか汗とかすごいかくでしょう。そうするとね、もうすごくて。すごいのよ先生ー」

 

先生「あ、そうなんですねお大事に」

 

 聞いてあげてー。先生。全然話聞かないで、あなたちゃんと薬の種類変えてあげたりしたのかしら。もう酔っ払いをかわすスナックの店主みたいになっちゃって。会話がもう反対咬合かってくらい噛み合わない。

 

そんな感じで診察室から出てくるから、お会計の時なんかも、

 

酔っ払い(患者)「いや最近汗とかすごいかくでしょう、大変でねー」

 

ママ(受付)「そうなんですね1230円になりますー」

 

 話し足りない客と早く店閉めたい店員みたいになっちゃって。まだ飲みたいーみたいな。お客さん終電逃すよほら帰んなって感じに聞こえてきちゃって。なんならほのかにアルコールの匂いがして、私も早く帰んなきゃ嫁にどやされちゃう。

 

そんな感じのお店なんだけどね、まぁ治んない、これが。当然なんだけど、流石に夏で肌の露出が増える季節なんでね、そろそろ治さなきゃなんて、思って。

 

じゃあ新しいとこいこうと、お手並みを拝見させて頂こうと。なんか知らないけど、ちょっとしたアンチみたいな気持ちでね。誰だい商店街近くにデパ地下つくったのは!うちの商店街がシャッター街になっちゃうじゃないの!島を開発するの反対!みたいな、生まれも育ちも地元一筋ですみたいな感じで、行ってきた。

 

凄かったね。もう田舎もんが初めて都会きたみたいな。わー、キレー、人が沢山いるよ。ここが渋谷かー。みたいな。え、この水ただで飲めんのすげーみたいな。

 

んで予約してますかとか聞かれて、予約しないとダメなの!?行列のできる皮膚科!?みたいな、その場ですぐ予約して。

 

 順番がついに来まして、先生登場して、先生の風貌はちょっと芋くさかったんだけど、これ田舎を嫌って飛び出して成功するために努力してきたパターンかなとか思いつつ。診察室入って体見せるために上裸になって、ふむふむなるほどーとかなんとか言った後に、

 

先生「今までどんな薬を使ってましたかー」

 

私「え、えと、こういうやつなんですけど。」 

 

 そう言ってカバンから前行ってた〇〇皮膚科の処方箋みたいの出した瞬間、

 

「ふっ、〇〇皮膚科ね」

 

って言って。え、どういうこと。て思って先生パッと見たら先生嘲笑った顔で、右の口角だけすごい上がってて。怖い。そう思ったのも束の間、

 

「こんなので治る訳ないじゃない。この人皮膚科専門って訳でもないし。この薬も全然ダメ。大体量が少なすぎるわ、来院して儲けようって魂胆見え見え。ほんと何考えてるかわかったもんじゃない。」

 

マシンガントーク炸裂。全身に仕込んだ拳銃でめちゃくちゃ撃ってくる。一方こっちは上裸ですから。もうどんどん傷つく。なんなら退院するときには体の赤み増えてるレベル

 

すごい言われて、こっちはもう唖然としてなんも言葉でなくて、ただ心ではなんか、負けてられないっていうか。心も年を取ったというか、今までの〇〇皮膚科を否定されると自分の人生を否定されたような気になってきちゃって。

 

私「でも素早く薬は出してくれるんですよ」

 

気付いたら言い返してて。そしたら先生が

 

「治ってないじゃない」

 

ぐふぅて感じ。あまりにもパンチ喰らうからこっちもと思って少し踏み込んだら余計喰らうみたいな感じになって。

 

「まず、〇〇皮膚科が出している薬が全然良くないんですよ。うちの後発薬品であんまりよくないんですよ。種類の統一もされてないしこれじゃ治るものも治らない。」

 

またもやパンチの嵐。もうダメージ受けすぎて正直タオル投げ込みたい。ギブアップしたい。そんで

 

「ね、近いし空いてるからって向こう行く人いるんだけどね、結局ここに戻ってくるんだよ。治らないからね。」

 

「あ、へーそうなんですか」

 

「飲み薬とかも一応出しとこうか」

 

「あ、はいそーですね」

 

 おーいここもスナックみたいになってるぞ。私めんどくさくなっちゃって、〇〇皮膚科とおんなじ対応するようになってた。ただ受け流すという。田舎のスナック精神が染み付いちゃってた。

 

しかし白旗上げてんのに凧殴りにされて、朦朧とする意識の中でレフェレリー見たらそいつ買収されてた時くらいには死にそうだった。

えぇ、レフェリー止めてぇぇぇ

ってなってた。ありったけの白いもん全部投げて全力の降参してた。

 

それでやっと診察終わって、薬とか大量に貰って、こっちもうやけくそですから。なんなんあいつはあみたいな感じで塗り続けて一週間。

 

ほぼ治った。

 

○○皮膚科、ありゃダメだな。

 

深呼吸

久しぶりにブログを書こうと思う。

全然更新していなかったのだけれど、それは飽きてしまったからである。

 

 普通に生きていく中でブログにしたためたいと思うような出来事なんて私には無かったので、暇だなあって言いながらぼぅっと生活していた。いや、実を言うと少しだけ他のブログにも書いていた。それはnoteである。金が欲しかったのだ。一銭も貰えなかったけど。浮気して悪いとは思っている。でも離れて気付いた、お前が一番いい女だよ。まあnoteも全く続かなかった。言ってみればワンナイトラブ、それでリピーターが付くかなと思ったがどうやらテクが足りなかったみたい。という訳でここにまた戻ってきてしまった。おっと失言、戻りたかったのだ。

 

 しかしnoteは私には合わないな。なにせnoteには品がありすぎる。下品なブログが全然無い!何故だ!真面目過ぎるぞ、日常という閉塞された空間に一息つける、束の間の休息、それがブログだろうよ。それが何故、なにを好き好んでブログに書く為に読んだ本のレヴューとか、好きなことを本気でやって生きていく(6000円)とかやっておるのだ。ひい、どこ行っても酸素薄い。息が出来ない。苦しい。

 

てなわけでnoteでは真剣に下ネタを言うようなものではないのだなとようやく気付いた。下ネタで金貰おうとしていた私もどうかと思うのだけれど、しかしここは実家のような安心感だなあ。酸素酸素。人目を憚らずに屁をこけるような脱力感。素晴らしいな。しかしそんな素晴らしさをすぐに忘れるのだろう。おそらくまたすぐに飽きて違う女のもとに行って、その緊張感から腹にガス貯めて限界になったらまたここに戻ってきて盛大にガス抜き、もとい屁をかますのだろう。もはや便所だ。しかし便を出すのは気持ちいいものだ。noteでは弁がたつものが崇められているが、そこでは便は出せんだろう。

 

まとめると、ここは正妻のようであり、実家のようであり、便所のようでもある。すごい。その内包性はもうすべてを包括している。広くて深い、まるで宇宙のようだ。待て、ダメだ。宇宙じゃ酸素が薄いどころか無いじゃないか。息ができない。苦しい。

 

くそ、もうもたない。そろそろお暇しなければ。

息は出来なきゃ生きられない。

 

 

 

つらつらと、だらだらと。

気付けば最終更新日から随分と日が経ってしまった。とても暇だった。とても暇だったのだが、とても暇であるが故に特に何も書くことが無く、特に何も書くことが無いことがさらに私を暇にさせた。暇であることは暇を加速させる。

 

しかしこれは逆も然りである。つまり忙しさは忙しさを加速させるということだ。身近な経験であれば試験期間だ。ぎりぎりまで勉強しなかったことが仇となり、試験期間は非常に忙しい。そんな忙しい時に限って、さらに忙しい事が起こるのだ。それは何か。

 

掃除への欲求である。

 

私は普段掃除などしない。そもそも掃除しなければなんて考えが浮かぶことが全くない。物が増え、プリントがかさばり、床に足の置き場が無くなろうとも、掃除などしない。というか掃除しないことを正当化している。あのアインシュタインだって部屋が汚かったのだ。ネットでは、創造性のある人間は部屋が汚いと言っていた。もはや掃除をしないことを誇りにすら思っている。部屋のホコリを取り除くことは人間の誇りをも取り除くことだ。だから掃除する人間を見下している。断捨離?まだそんな時代を生きているのかね。これからはそういう時代がやってくる。というか今でさえ断捨離断捨離うるさいのだ。そもそもこの「断捨離」という漢字、画数が多すぎる。この字面がすでになんかもう断捨離に失敗しちゃってる。

 

そんな掃除嫌いの私でも、忙しい試験前に限って掃除をしたくなるのだ。しかもその思いは突発的にでてきたとは思えないほど強く、重い。まるでいま掃除をしないで死んだらそれが心残りで地縛霊にでもなろうかという程の強さである。

 

ある日疲れて眠っていると、ガサガサッと、何かをあさる物音がしたんです。泥棒かと思うとすごく怖くて、起きてるってばれたらなにかされる、そう思ってしばらく息をひそめてじっとしていたんです。すると15分くらいたって、物音がピタッと止んだのです。でも部屋のドアを開ける音もしなくて、犯人はまだこの部屋にいる、そう思うととても怖くて、それでも必死に体の震えを抑えて寝たフリを続けたんです。けど、それから5分、10分といくら時間がたっても何も音がしないんです。それに、誰かが部屋の中にいるような気配もしないし・・・。それからしばらくして、私は意を決して部屋の明かりをつけることにしました。怖くて体の震えは止まらないけど、この状況にももう耐えられない。ゆっくりと、手探りでリモコンを手に取り、次の瞬間、バッと飛び起きて部屋の明かりを付けました。まばゆい光でいきなり照らされて、私の目は眩みました。でも必死に辺りを見回し状況を確認しようとしました。すると、なんとそこには誰もいませんでした。強張った体からふっと力が抜け、私は安堵しました。でもそこであることに気付いて、わたしは愕然としました。

 

なんと、あんなに汚かった部屋が、ホコリひとつない綺麗な部屋に様変わりしていたんです。

 

怖い感じで想像してみたけど最高じゃないか、起きたらチリ一つないなんて。こんな地縛霊なら何人でも欲しいわ。いや、とりあえず大量にもらっとこうっていうこの精神が部屋を汚くさせるのか。

 

というか何の話をしていたのだっけ。忘れてしまった。まあいいか、今日はこんなもので。

「しるし」、まさかのリリース。

私が嫌いな物、それはカラオケだ。歌は好きだ、鼻歌とかよく歌うし、大学への通学中なんかにもよく聞いたりする。なんなら通学中にも鼻歌歌ったりする。でもそれは、人前で話したり会話するのは苦手だけど独り言はよくいってしまうみたいなもので、人に聞かせない分には全然好きだということだ。

 

しかし、カラオケとなるとそうはいかない。「いや人の歌なんて正直興味ないし盛り上がればそれでいいだけだよ」こういう人、よくいらっしゃるが。無理だよ、気にするよ。というかその盛り上げようとしてくれる感じが恥ずかしいし、人の歌なんて正直興味ないと正直に言われてもそれはそれで悲しい訳なんですな。あなたのブログ自体には全く関心が無いけど私の読者増やすために仕方なしにスター送っときますか的な悲しみを感じるのだ。

 

まあカラオケは嫌いなんだが、当然嫌いになったきっかけというものがある。別に食わず嫌いだとかそんな訳じゃない。かじったことはあるのだ。

 

あれは中二の夏休み。今でも鮮明に覚えている。晴れていた。雲が無かった。カゲロウが揺らめき、私たちの存在をおぼろげなものにしていた。興奮を抑えられない足早な私の首元には一筋の汗がつたっていた。その汗は私の首にぽつぽつと浮かんだ他の汗を巻き込んで、一つの大きな塊を作って流れていく。その様子は私の期待の膨らみようをも表現していた。しかし私は知らない。大きな汗のつぶはいつしか地へ落ち固く熱いアスファルトの上で蒸発してしまうように、私の期待もいつしか消えてなくなってしまうということに。

 

歌についてはある程度の自信があった。根拠があるわけではないが、歌は好きだし、大体のことは人並み程度には出来る。そんな自負が私の人前で歌うというプレッシャーを支え、むしろ凌駕していた。いや、出しゃばっていた。ぐいぐい前に出てきた。だからだろうか、私の一発目の選曲がミスターチルドレンのしるしだったのは。ゴリゴリのバラード。私は聴かせる歌を選んでいた。いや、無意識に選ばされていた。

 

さ~いしょか~らこうなることが、きまってたみ~たいに~中略

 

歌声がこだまする室内、沈黙の男達、ダーリン、ダーリン。歌声がこだまする室内、強張った顔の男達、いろんな顔を持つ君をしってるよ。歌声がこだまする室内、パッドを持つ男達、oh my darli-。

 

不意に演奏中断をされた。長い沈黙。私の脳裏によぎる一抹の不安。男の口が静かに開かれる。

 

「サビも音外してるね。」

 

狂おしく鮮明に僕の記憶を埋め尽くす

 

ダーリンダーリン

 

それ以降はソファに体育座りして一曲も歌わなかった。帰り道、日も傾き涼しくなったにも関わらず私の首筋には一筋の雫がつたっていた。その小さな雫はいつしか地面に落ちる。しかし熱を失ったアスファルトの上で、その雫の跡は残り続けるのだろう。私の心に刻まれた、決して消えない記憶のように。

 

これ、「さびも音外してる」の、も、の存在感がやばい。これって添加のもだから、つまり、最初からずっと音外してて、さびくらいは大丈夫かと思いきや、いやさびも音外すんかーいの、も、だから。も、なんて明らかなモブキャラに殺傷能力がこんなにあると思わなかったよ。たった一文字で人の心を修復不可能にするなんてさすがですわ。

 

ていうか、最初から音外して、さびも音外して、最後も音外してって。これもはや違う曲だよね。ミスチルのしるしじゃないよね。ミスチル歌ってたつもりが、いつのまにか私の新曲になってたよね。個性が強すぎるんだなやっぱり。気付けばこんなところまで来てたのか、いや知らなんだ。というわけで私の新曲、「しるし」、リリースします。

 

 

 

 

 

 

 

クリスマスイブの前日

最近、というか随分と長い間、私はあることに悩まされている。それは何か。声が小さいことである。元々声が低い上に声帯だけ鳥取砂丘出身なのかと思う程がらがらでかっさかさのすっかすかなので声が通らない。

 

そして私は人見知りである。特に大勢で話している時が一番苦痛だ。見られるのが嫌で、眼球が三つこちらに向いているともう無理である。嘘である。二つでギブアップである。

 

そんな私であるが、時たま喋りたい時があるのがこれまた困るのだ。というのも、喋りたいのだが見られるのが嫌で、喋りたいのだが聞かれるのが嫌だったりするのだ。だからそういう場合は隣の人に聞こえるだけの音量でボソッと囁く。正直私の会話のテリトリーはこれくらいで、会話のキャッチボールというかもう手渡しである。だがこの範囲内で喋るのが一番楽しかったりする。

 

しかし通常の喋り声がそもそも小さい私が囁くなんてことをすると、もはや隣の人間にさえ届かない様で大抵一人でブツブツ呟いている奴になっている。フォロワー0人のツイッタラーである。

 

そんなに声が小さいのかと自分でも最近気になり始めたため、友人にどのくらい声が小さいのかと問うてみたところ

 

「テレビを直撮りした動画をYouTubeにアップしてるみたいな声量。」とのこと。

 

それは聞き取りづらいことこの上ない。それに違法である。ということはそんな声帯を所持する私も違法者、生粋のアウトローである。つまりはトム・クルーズである。我こそがトム・クルーズ。気付いてしまった。いや、気付かれてしまったというべきか。20年以上持たざる者として生きてきたmeのこの生き様こそがトム・クルーズであるevidence。なんというクリスマスプレゼントか。

 

人生とは不思議な物だ。どんなに情けない生活をしていようと、小さな努力、行動、thinkingはいつかyouが何者なのかを気付かせ、自分を大きく変えてくれる。見たことのない景色へと導いてくれる。meも、今までmeがTom・Cruiseだとはつゆほどもthinkしたことがnothingだったし、そんなideaすらnothing。however,フシギダネ。Onceそうだったのかと認識してシマウと、もうそういう風にしかthinkできなくナテシマウ。In fact,ナンだかJapaneseをuseがイッツソーディフィカルト。ヤハリワタシはTom。ノットJapanese、イングリッシュ。言葉に自然と英語がtoo much、溢れてしまう。

 

さてTom cruiseになったらなにをするか。

街に出れば周りの私を見る目線がもう違う。夜で辺りが暗くなっていて、おまけにサングラスを掛けているというのに何故か好意の視線に晒される。オーラが出すぎているのか。隣に彼氏がいるにも関わらず、私を見てにやける口元に手をやり必死に好意を隠そうとするそこのあなた。メリークリスマス。一人夜露に濡れながらクリスマスツリーを悲しげに見つめるあなたに一言。メリークリスマス。全米に、メリークリスマス。世界が私に微笑んでいるような気がする。ひとしきりTom・Cruiseして家に帰る。


 

しかしそこではたと気づく。トム・クルーズと言う最大の武器を手にしながらも女性にクルーズするという目標を達成することが出来なかったことに。なんということか、クリスマスの難攻不落さは超ド級。これぞまさにミッションインポッシブル。違うか。違うな。これが私の12月23日の妄想。もはやクリスマスでもない。