脳内日記

あることないことなんでも書きます。

クリスマスイブの前日

最近、というか随分と長い間、私はあることに悩まされている。それは何か。声が小さいことである。元々声が低い上に声帯だけ鳥取砂丘出身なのかと思う程がらがらでかっさかさのすっかすかなので声が通らない。

 

そして私は人見知りである。特に大勢で話している時が一番苦痛だ。見られるのが嫌で、眼球が三つこちらに向いているともう無理である。嘘である。二つでギブアップである。

 

そんな私であるが、時たま喋りたい時があるのがこれまた困るのだ。というのも、喋りたいのだが見られるのが嫌で、喋りたいのだが聞かれるのが嫌だったりするのだ。だからそういう場合は隣の人に聞こえるだけの音量でボソッと囁く。正直私の会話のテリトリーはこれくらいで、会話のキャッチボールというかもう手渡しである。だがこの範囲内で喋るのが一番楽しかったりする。

 

しかし通常の喋り声がそもそも小さい私が囁くなんてことをすると、もはや隣の人間にさえ届かない様で大抵一人でブツブツ呟いている奴になっている。フォロワー0人のツイッタラーである。

 

そんなに声が小さいのかと自分でも最近気になり始めたため、友人にどのくらい声が小さいのかと問うてみたところ

 

「テレビを直撮りした動画をYouTubeにアップしてるみたいな声量。」とのこと。

 

それは聞き取りづらいことこの上ない。それに違法である。ということはそんな声帯を所持する私も違法者、生粋のアウトローである。つまりはトム・クルーズである。我こそがトム・クルーズ。気付いてしまった。いや、気付かれてしまったというべきか。20年以上持たざる者として生きてきたmeのこの生き様こそがトム・クルーズであるevidence。なんというクリスマスプレゼントか。

 

人生とは不思議な物だ。どんなに情けない生活をしていようと、小さな努力、行動、thinkingはいつかyouが何者なのかを気付かせ、自分を大きく変えてくれる。見たことのない景色へと導いてくれる。meも、今までmeがTom・Cruiseだとはつゆほどもthinkしたことがnothingだったし、そんなideaすらnothing。however,フシギダネ。Onceそうだったのかと認識してシマウと、もうそういう風にしかthinkできなくナテシマウ。In fact,ナンだかJapaneseをuseがイッツソーディフィカルト。ヤハリワタシはTom。ノットJapanese、イングリッシュ。言葉に自然と英語がtoo much、溢れてしまう。

 

さてTom cruiseになったらなにをするか。

街に出れば周りの私を見る目線がもう違う。夜で辺りが暗くなっていて、おまけにサングラスを掛けているというのに何故か好意の視線に晒される。オーラが出すぎているのか。隣に彼氏がいるにも関わらず、私を見てにやける口元に手をやり必死に好意を隠そうとするそこのあなた。メリークリスマス。一人夜露に濡れながらクリスマスツリーを悲しげに見つめるあなたに一言。メリークリスマス。全米に、メリークリスマス。世界が私に微笑んでいるような気がする。ひとしきりTom・Cruiseして家に帰る。


 

しかしそこではたと気づく。トム・クルーズと言う最大の武器を手にしながらも女性にクルーズするという目標を達成することが出来なかったことに。なんということか、クリスマスの難攻不落さは超ド級。これぞまさにミッションインポッシブル。違うか。違うな。これが私の12月23日の妄想。もはやクリスマスでもない。